〜『ラ・ラ・ランド』補足説明とラストの解釈〜

【ネタバレ注意】

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   ミアとセブは映画館に行ったあと、グリフィス天文台へと行きます。ここのプラネタリウムのシーンで、ミアとセブが宇宙へ飛んでいき壮大な音楽にのせて2人でダンスするシーンがあります。正直「なんだよこのシーンは!」と思った人も少なからずいると思います。

   先に答え合わせからしてしまうと、これは2人の気持ちの高まりを表す比喩表現です。もっと具体的にいうと、恋に落ちたばかりの2人は天(宇宙)にも登るような気持ちで踊る、という意味合いです。この気持ちの高ぶりの比喩表現というのは映画でしかできない術ですし、チャゼル監督がインタビューでも言っていたように感情の高ぶりを最も表現しやすいジャンルがラブストーリーやミュージカルというわけです。ミュージカルでは、感情の高ぶりとともに、歌ったり踊ったりしますよね。天から降りてきた2人は、ようやく初めてキスをします。(これより前のシーンでキスしようとして失敗するシーンが2回挟まれているのがここを引き立てます。)
   ちなみにですが、この映画の比喩表現というのは実は結構頻繁に使われています。例えば最近の作品で印象的な使われ方をしていたのは、前々回のアカデミー賞で作品賞他4部門を受賞した(ちなみにエマ・ストーンはこの作品で初めてアカデミー賞にノミネートされました。)『バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)』です。あの映画の"バードマン"という存在は当たり前ですが全て現実ではなく、主人公の比喩になっています。これを知ってから、この作品を観ると難解そうな映画ですが案外すんなり理解できますよ。

 

 

   

 

   そして、いよいよお待ちかねのラストについてです。先に言っておきますが、今から書くのはあくまで僕個人の解釈です。映画というのは観た人全員に解釈の余地があるわけであまり自分の考えを押し付けたくはないのですが、『ラ・ラ・ランド』のラストはたった10分弱ですがあまりの怒涛のシークエンスに、1回観ただけだと意外とピンときてない人が多いんじゃないかと思います。是非参考程度に聞いてください。

 

   例のシークエンスの解釈の前に、まずはじっくり最後のパートをおさらいしていきましょう。

   ミアのオーディションが終わったあと、テロップに再び「冬」と出たあと突然「5年後」のテロップが出ます。初見時、あまりの急展開にビックリしたのを今でも覚えてます。笑

   最初に画面に映るのは5年後のミアです。ミアはコーヒーを買いにワーナー・ブラザースのカフェへと入ります。気づいた人がほとんどだとは思いますが、ここはミアが女優で成功することを夢みて働いていた場所ですね。ミアが店内に入ったときの店内にいた人のリアクション等から彼女が有名人である、というのが分かります。(このようになんでもかんでも言葉で説明しないスマートさが僕は大好きです。最近の映画はなんでもかんでも台詞で説明しようとするので。) 

   続いて、5年後のセブが一瞬映ります。再びミアの方へと戻ると、なんとミアは知らない男と結婚しているのです。(アメリカの劇場では、ここの場面でOhhhとどよめきが起きてました。笑) セブは今も独身のままであるように見えます。ミアとその旦那はフラリとジャズバーへ立ち寄ります。そのジャズクラブとはセブのクラブであり、ミアが5年前に作った"Seb♪s"の看板が使用されています。おそるおそる席に座ったミアは、ついにセブと顔を合わせます。それに気づくセブ。少し間を置いたあと、"ようこそ、セブズへ"と言い、ピアノの席へ座ります。何かを振り絞るかのように演奏を始めるセブ。その曲とは、2人が5年前に初めて出会った時にセブが演奏し、解雇されてしまった曲です。(サントラでは、Mia&Sebastian's Theme つまりミアとセブのテーマ曲という名前になっています。) ここからフラッシュバックのように(もちろんこれはフラッシュバックではありませんが) 2人が初めて出会った場面へと切り替わります。しかしここが5年前と違うのは2人が歩み寄りながらそのままキスするところです。ここから音楽が終わるまでが最初に怒涛のシークエンスと呼んだところです。

 

  まずこのシークエンスは一体何か。ずばり、全てが良い方向に進む2人の理想ないしは、夢です。1回観ただけだと、全てを追うのは無理だと思いますがこのシークエンスに出てくるほとんどが5年前とそっくりです。ただ違うのは、全てがうまくいっているというところです。例えば、ミアの一人芝居。実際はほとんど客が入っていませんでしたが、ここのシークエンスでは満席になっています。この理想、夢のような楽しくて、美しい場面を表現するのに、壮大な音楽はもちろんですが映画冒頭のような色彩豊かな画面が復活します。ちなみにこのラストシークエンスは『シェルブールの雨傘』と『巴里のアメリカ人』という2つのミュージカル映画をミックスしたような構成になっています。

   では、このシークエンスは一体どちら(ミアかセブか)視点なのか? この理想の恋模様は一見、ミアのデザインしてくれた看板を使って、独身のままおそらく5年間ずっとミアを待ってきたであろうセブの視点のように見えます。でも僕はこれはミアの視点だと解釈しています。なぜか。1つはこの場面でのミアの表情です。決して明るくはない、すごく切ない表情をしています。あのシークエンスはセブがずっと待ち焦がれていた夢ではなく、5年前に2人がそれぞれの夢 (女優として成功すること、自分のジャズクラブを持つこと) を追いながら2人で夢みていた理想、つまり全てうまくいき2人が幸せな家庭を築くこと、なのです。それをミアが5年ぶりに再会したセブの演奏を見て、思い出しているように僕は感じました。

   セブによる演奏が終わり、再び現実へと戻ります。ミアは店を出ようとします。ミアは店を出る間際、後ろを振り返ります。ゆっくり微笑むセブ、それに応えるようにミアも微笑みます。セブは頷き、ミアは店を後にします。

この一連のやりとりは何か?

間違いなくこれは、2人が5年前に抱いていたお互いの夢を2人とも叶えたぞ。という見つめ合いでしょう。つまりそれは2人の人生の選択が正しかったということです。例えばもし、ミアがオーディションに合格したあとセブがミアについて行き、パリに行っていたとしたら?もしかすると彼の夢は叶わなかったかもしれません。

   僕がアメリカの友人に『ラ・ラ・ランド』を進めた時、よく言われたのが最後のバッドエンディング (ミアとセブが結ばれなかったという意味) が納得いかない、というものでした。

僕自身、これは非常に切ない"ハッピーエンディング"だと思っています。なぜなら、『ラ・ラ・ランド』はの物語ではなく、の物語だからです。

2人が出会わなければお互い夢は叶わなかったけれども、夢を叶えるためには一緒にいられなかった。別れた2人は目線を交わし、切ないハッピーエンド。

   映画は最後、ミアと別れたセブが "1,2, 1,2,3,4" とカウントを取りながら幕を閉じます。セブの人生はここからまた始まるのです。おそらくずっとミアを想っていたであろうセブは辛いに違いありませんがその痛みの連続、選択の連続が人生です。しかし、どんなに打ちのめされてもまたいつか "Another Day of Sun" 「陽はまた昇る」のです。そしてこれは映画冒頭で多くの夢追い人たちが歌い、踊っていた曲名でもあります。(やや強引かもしれませんが、『ラ・ラ・ランド』は変則的な円環構造になっていると言えると思います。)

多くの馬鹿のような夢追い人(The Fools Whi Dream)たちが(これはミアがオーディションで歌う曲名)、打ちのめされ、出会い、悲しみ、手を取り合い、そして前に進む、そんな場所がLa La Landなのです。

 

   そしてこれが多くの人々、特にハリウッドを中心とした業界人にウケている理由の1つだと思います。彼ら彼女らはきっと同じような経験をしていきているはずです。だからこの作中のミアやセブの気持ちが痛いほど分かるんだと思います。 

   

   『ラ・ラ・ランド』はストーリーはすごくシンプルだけどラストの解釈を含め、観終わった後にあれやこれやと考えることで作品の捉え方が変わってくる作品だと思います。これを読んで2回目に行きたくなった人がいれば幸いです。